管理組合だより

NO.5 阿倍野区・アルス帝塚山管理組合

居住者の希望を生かし、町並みに
しっくりと調和したマンションに変身

 今回訪問したアルス帝塚山の前身は、昭和42年に入居が始まった大阪市住宅供給公社の分譲マンションで、以前は68戸の住戸すべてが55平方メートルの4DKでした。それが、平成9年の建替えで住戸数は90戸に増え、住戸面積も約60~100平方メートと広くなり、居住者の希望を十分に取り入れた16タイプものバリエーションのあるマンションに変身したのです。その経緯や工夫ぶりをお伺いしました。

1.建替えのきっかけ

 1989年(平成元年)に理事長から「今年は、大規模修繕と建替えについて検討しよう」と提案があり、当時8人だった役員は、とりあえず建替えに「賛成」か「反対」か「その他」といった簡単なアンケートを実施。その結果、6〜7割が賛成だった。当時、役員の一人だった山口久美子さんは、学生時代やコーポラティブハウス建設に携わった時の経験を生かし、2回目のアンケートでは建替えを検討するのにどういう進め方をしたらよいかを聞くことにした。具体的には、自分たちで考えるか、ゼネコンに依頼するか、第三者のコーディネーターに相談するかの選択に対し、コーディネーターを支持する回答が大勢を占めた。
 そこで、近隣のコンサルタント事務所にアドバイスをもらいながら、まず今の生活で居住者が何に困っており、新しい住居に何を求めているかをアンケートにより、各々のライフスタイルを聞き出した。その結果、80代の一人暮らしの方から20代の世帯まであったが、ボリュームゾーンは当初からの入居者である40〜50歳代であることが分かった。
 実際の運営は、当初「建替え懇談会」として発足。男性ばかり5〜6人の理事長経験者などで構成されていた。その後、委員長以外は全員女性の10人体制の「建替え研究会」を組織し、事業の進捗に合わせ「建替え準備会」、「建替え委員会」と変更し、建替え委員会は月1回以上開催した。建替えに関しては、当初から5人程度の反対者があったが、そのつど建替え委員やコンサルタントが個別に話をし、理解を求めて事業を進めて行った。こうした活発な活動ができたのは、メンバーの大半が専業主婦で時間調整もしやすかったことと、何よりもより良い快適な住空間を求めていたことが考えられる。

2.建替え決定後の取り組み

 事業手法は、当初何人かの役員の間で話し合っていた東京の建替え事例を参考にして等価交換方式を採用し、増床部分は分譲価格で購入することとした。業者選定については、アンケート結果をベースにラフプランを作成し、居住者と共に事業を進めてもらう建替え事業者をコンペ方式により選定することになり、建設会社50社程度に案内を出した。しかし当時は建替えの事例も少なく、採算性の問題や建替えに対する個別対応の困難さからか、結果的に2社の応募となった。A社は全住戸同じ広さで同タイプのプラン、B社からは広さもさまざまで16タイプのプランをもつものが提示された。間取りのタイプが同じであれば「他の住居との比較による住民間のクレームが出なくてよい」ということで賛成者もいたが、全体としては、後者を選択することとなった。
 部屋決めについては、まず各戸の評価を数字で表し、基本資料とした。従前の「南面3室」へのこだわりが強かったが、新しいプランでは、住戸配置が“コの字型”になるため、東向きや西向きの住戸ができるので、各々の住戸メリットを示しながら事前に部屋の位置の希望を聞き、協議を進めた。 こうした努力が実を結び、同一の部屋に複数希望があったところも、実際には各々が調整して第2希望の範囲でうまく収まった。
 個々の間取りの要望や設備内容については、業者が設置した設計相談会で相談を受け、できる限り希望を聞いて対応した。内装については、時間の関係もあり、3タイプのメニューから選ぶ方式を取った。「設備面等で付けておいた方がよいかどうか迷った時は、付けておいた方がよいと思う」という意見は、建替え後の生活体験からの貴重なアドバイスだ。
 こうした経緯を経て、最終的に一般分譲したのは20戸。バブル以降の分譲となったが、当初に大半が売れ、数戸が半年から1年で完売した。

3.共用部分のプランニング

 建替えの場合は、共用部分のプランニングも全員で考えなければならない。そこで、建替え前に困っていたことや新しいプランへの希望を出し合った中で、下記のことを決定した。
駐車場の増設
事前のアンケートにより必要台数を調べ、それにプラスして分譲戸数分(20戸)の台数を確保した。
駐輪場を新設
従来は階段下に各自で駐輪していたが、自転車台数の増加により、1階は平置き、地階に機械2段式を設置した。
集会所を広くする
総会も開催できる広さとし、貸し教室や葬儀もできるようにした。
トランクルームを新設
地階に確保し、希望者に使用料を取り、貸し出すこととした。
片廊下式とスキップフロア式を併用
共用廊下や屋外階段については、片廊下式だけではなく、プライバシーを確保するスキップフロア式も案として示され、結果、その両案を取り入れるプランとした。しかし、スキップフロアの住戸は、エレベーター停止階の上下階への移動は階段となり、今後、高齢化に伴う問題が心配される。

4.仮住居への移転問題、近隣対策

 建替えで大変気になる仮住居への移転については、建替え委員会でマンション近くの不動産店で聞くなどして空家情報を提供したが、大半は自分で転居先を捜されたとか。また転居の便宜として、委員会メンバーが引っ越し業者と値引き交渉をしたり、教育面では子供の転校問題について区役所や学校と協議するなど、精力的な活動がなされた。
 解体工事を95年10月から着手したが、近隣対策については、それ以前に、建替え委員会メンバーが近所を訪問し、建替えに対する理解を求めてまわった。また町会や近くにある神社などにも、老朽マンションの建替えを「まちづくり」の一環として、また町内の問題として理解をしてもらい、協力してもらうように働きかけた。その際、近隣から出された駐車場やごみ置場の仕様や位置の変更などについては、要望どおりに実施している。仮住まい期間は95年8月〜97年2月の約1年半。仮住まい費用は各自負担とした。建替え事業中は「建替え委員会ニュース」を平均月1回発行し、行政手続きや工事の進行状況、今後のスケジュールなどについてお知らせし、情報の共有化に努めた。

5.建替えの成果とその後の生活

 当時は、業者も初めてのマンション建替え事業であり、事業途中に、ペット飼育問題やその他予期せぬ諸問題もあり、暗礁に乗りあげることもあった。また居住者側でも、中には、役員が情報を独占し、いい場所の住戸を押さえるのではないかとか、いい条件で入れるのではないかといった憶測をする向きもあったようだが、委員会への参加をオープンにし、情報についてもすべて公開するなど、ガラス張りの運営をする中で、そのような憶測がなされない状況を作り出したという。「情報公開は何よりも大切ですね」と、山口さんと一緒にこの事業に携わってきた津田香子さんの言葉には重みがあった。
 そして、この一大事業を何とかやり遂げることができたのは、結果的には、居住者の誰もが「この町、この場所に住み続けたい」という強い思いがあったからだと言う。さらに業者関係者から、その後に起きた阪神淡路大震災の被災マンション建替えに今回のノウハウが大変参考になったと、うれしい報告もあった。
 建替え後の生活では、まず管理面での変更があった。従前は、当初委託管理だったのを自主管理に切り替えて運営してきたが、役員に大きな負担となっていたので、建替え後は、全面委託管理とした。管理員は常駐で9:30〜16:30の勤務で、日曜、月曜日は休み。管理費は7,900円〜13,500円で、修繕積立金は、管理費とほぼ同額となっている。
経験からのアドバイス
●情報はすべてオープンにし、ガラス張りにする。
●決まった事はニュースで知らせ、記録として残す。
●近隣には早めに説明し、誠意をもって対処する。
●事業の賛否にも影響する事態となったペット飼育の問題には、規約第15条で禁止する案に対し「飼い主の会」を中心に約2か月間協議し、「一代限りの飼育とする」という現在の規約内容としてまとめることとなったが、建替え事業には、こうした問題もついてまわることを心得ておくとよい。
マンション概要 所在地:大阪市阿倍野区帝塚山1-14-26
建替え前 建替え後
マンション名 帝塚山コーポ アルス帝塚山
建築年 昭和42年(1967年) 平成9年(1997年)
構造・規模 RC造・4階建・2棟 RC造・5階建
戸数 68戸 90戸
1戸当たり面積 4DK 55平方メートル 3LDK〜4LDK 56.2平方メートル〜98.28平方メートル
駐車場台数 17台 機械式54台
駐輪場台数 - 自転車105台、バイク9台
付属施設 集会所 集会所・管理員室
付属設備 - オートロック、監視カメラ、CATV